高橋廣湖
明治8年熊本県山鹿市生まれ。本名は浦田久馬記。のちに女優・高橋こうの養子となり高橋姓を名乗った。父長次郎は、矢野良敬に学んだ雲谷派の 画家で、 画塾「観松堂」を開き県北で一家を成していた。明治25年、17歳の時に熊本在住の南画家・犬塚松琴に師事した。その3年後に初号である「天鹿」を名乗って熊本市に出て、 絵画研究所「共進舎」の教員となった。この頃、熊本を訪れていた女優・高橋こうと出会い、廣湖の 画才に感銘した高橋の勧めで上京して 絵の修行をすることになる。明治30年、22歳の時に単身上京、松本楓湖の 画塾「安雅堂」に入門した。24歳の時に日本美術院に初入選、二等褒状を受けた。この頃、楓湖から「廣湖」の雅号を授かり改号した。その後日本美術院、巽 画会を中心に、二葉会、紅児会、歴史風俗展などの展覧会に出品、受賞を重ねた。特に巽画会では、中心的 画家の一人として活躍、評議員、審査員をつとめた。明治44年、36歳の時に巽画会主催で上野竹之台陳列館で個展が開催された。明治45年、取材のため朝鮮・満州を訪れたが、現地で病に倒れ、帰国後37歳で死去した。
別名・号
高橋広湖
